現代文のむずかしさ~敷居が高い

2015.06.12 Fri

頭が良くなる国語塾  コクリエ国語教室 名古屋駅前校 主宰の 黒川葉子です。

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足が腫れて、人生初松葉杖生活中です。

痛いのも困りものですが、何かと不便で、時間がかかります。
その大きな原因の一つが、我が家が古い日本家屋だということです。バリアフリーなんて、あり得ない、超高低差です。
これがバリアフリーであれば、精神的、身体的負担はかなり減ると思います。
まず、大きな問題は「敷居」
特に玄関の敷居が高いハードルです。部屋を移動する毎に、敷居の洗礼を受け、覚悟が必要なのです。
そんな風に毎日を過ごしながら、ふと思いました。
「敷居が高い」って、こういう状況だから理解できるんだよな。と。
「敷居が高い」と、小説などで読んだとして、バリアフリーの家でしか暮らしたことが無ければ、本当にはりかいできないのではないか?と。
物理的な「敷居の高さ」と、精神的な「敷居の高さ」いずれも、現代の日本の家にはない。
「俺に従えないなら、二度と家の敷居をまたぐな」なんて子供にいう気骨のある父親は、ほとんどいない。
日本は、ここ50~70年で、ある意味において全く違う国、文化になった。
家の建築形式や、家族のあり方は、別の国といっていいだろう。
そんな中で、国語の小説問題で、いきなり説明もなく、周知の事実のように、古い日本の描写がなされ、問題がでる。それを解くのは、無理というもの。
普段から意識的に古い小説などで、昔の日本の生活形式や昔の日本人の当たり前を知っておく必要がある。
現代文のやっかいなところは、課題文の世界・その常識を知らないと、文章そのものが読みにくく、理解しにくいという点だ。その世界が自分になじみがあれば、分けなく読めて、点数が取れるのに・・・・
ちなみに、先日ある公立学校に行って愕然としたのが、学校の空間が、一般の社会と全く違っていて、昭和30年代のままだということ。タイムスリップしたようだった。その空間にずっといる先生たちには、「敷居が高い」は、まだ現実的な世界なのだろう。
教えられる生徒の住んでいる世界と、教える先生のすんでいる世界・時代がかい離していることに気づいているだろうか?
なんか、本読んだ方がいいですか?と、高校生に聞かれると、古目の小説を何冊が読んで見るように勧める。その頃の日本の世界観に馴染めるように。
もはや、古い日本は、意識的に学ばなければいけない、異国のものとなってしまった様な気がする。
現代文がもはや、現代ではなく、過去文になってしまったのか?とも思う

| 2015.06.12 16:40 | コクリエで学ぶこと |

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